M&A月報No.133 「アナン元首相の苦言と最高裁でのある事件」 1992年のタイ流血事件の折に、反政府側として民衆を引っ張った元バンコク知事のチャムロン氏であるが、当時の首相と共に国王に叱責され、バンコク知事の任も解かれ、その後静かにしていたが、タクシン政権になってから、またぞろ反政府活動の牽引者として登場してきた。
M&A月報No.132 「日本国微笑外交とタイ国憲法改正ドタバタ騒動」 一ヶ月間多忙な日々を神戸で過ごし、5月6日タイに戻って来た。 日本滞在中TVを見ていると、ガソリンが下がったり、上がったりの大騒動、後期高齢者の保険制度で75歳以上が激怒、国民保険機構で職員が3年間で10億円もの金を盗み、それを競艇で使ってしまっても全く気付かぬ天下りの大組織、予てよりの筆者の指摘通り食品の価格が高騰し大騒ぎ、人を簡単に殺したり、硫化水素による自殺の多発等々暗いニュースのオンパレードであった。
M&A月報No.131 「連立与党解体の危機」 プミポン国王はスラユット前首相を再び枢密院議員に任命した。枢密院は王室事業に対する助言権限を持つ機関である。今回の任命では、同氏含め3人を任命しており、これでプレム議長以下議員18名での構成となる。
M&A月報No.130 「反タクシン派勢力の更迭とサマック政権による”開国”政策」 帰国を果たしたタクシン氏は自宅に戻らず、セキュリティの良い、ペニンシュラホテルの11室を借り切り、そこにまず腰を落ち着けた。しかし、それは数日で、雲隠れしてしまった。
M&A月報No.129 「サマック新内閣発足と元首相アナン氏の東京講演」 “PUPPET”なる大きな見出しが新聞の一面に躍った。サマック内閣を今後はこう呼ぶようである。“あやつり人形”には色々雑音が入 り、組閣にも苦労している様である。 2月6日、遂にサマック内閣が国王により承認された。
M&A月報No.128 「サマック新首相誕生とタクシン氏帰国か?」 頻繁に国王がお見舞いに行かれているので憂慮していたが、姉君ガルヤニ殿下が1月2日、84歳でご逝去された。国王の悲嘆振りが痛々しい。1月17日まで国民は喪に服す事になった。合掌。
M&A月報No.127 「国王スピーチ2007と総選挙」 2007年12月5日に80歳の誕生日を祝われた国王陛下であるが、今回は特に盛り上がりを見せた。花火等も例年より多く打ち上げられた。 これに先立ち、例年の通り、国王は国軍のパレードを受けられた。
M&A月報No.126 「国王陛下御退院と12・23総選挙へ」 11月1日タイの外相ニット氏が東京を訪問、高村外相と会談した。これは1日より発効するEPA(日タイ経済連携協定)の初会合に出席の為である。協定運用上の手続き規則を確認した他、経済協力の拡大に付き打ち合わせた。
M&A月報No.125 「国王御入院とスラユット暫定背水の陣内閣」 昨年のクーデターを指揮したソンティ陸軍司令官の後任に、アヌポン陸軍副司令官が昇格した。陸軍内では、穏健派で人望厚い人物で知られ、その柔軟さとバランス感覚の良さは、軍外や陸軍OBよりの信望も厚い。
M&A月報No.124 「安倍首相辞任とタイ暫定政権下における景気動向」 月半ば、今月は動きの少ない月だなと思っていたら、突然の安倍首相辞任のニュース、唖然とする以外には無い。種々の理由があるのであろうが、その一つがテロ特措法の延長が困難視されてきた為と報道されている。